3.11からの夢 From 2011.3.11-2016.3.11
はじめに―夢がなくなったあの日から

被災地で「夢」を聞くことは、あまりにも愚かで、浅はかだった。

あの日から3年が経った2014年の春。 被災地の復興はどうなっているんだろう。 そこで生きる人たちは前を向いているのだろうか。そう思った私たちは「夢」を聞くために、東北に行った。 子どもたちが元気に走り回っていた。  山盛りのごはんを用意してくれたお母さんがいた。袋いっぱいのお土産を持たせてくれた漁師さんがいた。出会った人たちは本当にやさしく、楽しそうに笑っていた。  その姿は震災から立ち直ったように見えた。 けれど、元気だと思えたのは、何も見えていないからだった。 東北ではまだ、とても静かに、絶望が続いていた。

「生きるだけで精一杯」  「仮設で暮らす生活は、本当にみじめだよ」  「あの人の方が、もっともっと辛い思いをしているから、私なんて」 その言葉からは、繰り返し訪れる悲しみ。 苦しくなった生活。 どの方向に舵を切っていいのかわからない、将来への不安が滲み出ていた。 たくさんの人が亡くなった。たくさんの物がなくなった。 それは誰かの、絶対に居なくなってほしくない人で、大切なものだった。 あまりにも多くの人の人生が変わった。変わらざるを得なかった。 それが、東日本大震災という日だった。

瓦礫がなくなり、さら地となった沿岸部には、鉄骨がむき出しになった建物がまだ残っていた。あたりには何もなく、この場所に駅があったなんて信じられないけれど、地面から剥がれずに残った点字ブロックが駅のホームを思わせた。 町は、かさ上げのために盛り土をはじめていた。  山を削り、土を運ぶダンプカーの行列がわきを通ると土ぼこりが舞い、服も車もドロドロに汚れてしまった。 福島に入ると、景色は一変した。  道路には、「除染作業中」と書かれた蛍光の旗が揺れていた。原発方面へと近づくにつれ、人がどんどん少なくなってゆく変わりに、何十万個と並ぶ放射性廃棄物の入った黒い袋が、町を埋めつくしていた。 あまりの物々しさに怖くなって、逃げ出すように、車を走らせた。ここは本当に日本なのかと、自分の目を疑った。



いまだ続く、厳しい現実。そこで暮らす、多くの人びと。日常になってしまった我慢は、おそらくもう、限界だった。 ここではない別の場所で、普通の生活をしている私たちが「夢」を聞くことは、あまりにも浅はかで、愚かだと思った。 けれど、一人の方との出会いが、その考えを踏みとどまらせた。 エプロンの似合う、よく笑うおばあさんだった。 おばあさんは、「いつか、船で日本を一周してみたい」と教えてくれた。「こんなのだったら」と、たくさんの夢を指折り数えて教えてくれた。ひとしきり話をした後、こんな言葉をもらった。 「眠りにつく前は、つい鬱々としてしまうから、 余計なこと考えるくらいなら、夢を考えてみるよ」 「なんだか、希望の宿題もらったみたい」

そのとき、思った。 夢を考えることは、もしかすると、それだけで希望なのかもしれない。 震災からの未来を、課題や問題からではなく、誰にも遠慮することなく、自分の夢を考えることから、はじめてみてほしい。 そして、震災からの未来は、日本中で考えていきたい。その「きっかけ」をつくりたい。 だから私たちは、もう一度 「震災からはじまった夢はなんですか?」と、日本中の方に問いかけ、作文を書いていただくことにした。

3.11は、夢がなくなった日だった。 けれど人は、5年という時間を経て、悲しみで押しつぶされそうになりながら あの日と向き合い、やっとの思いで夢を見つけていた。 どんな悲しみも、はじまりに変えられる。 人は、こんなにも強く生きていける。 震災からはじまった夢が教えてくれた。 それは同時に、私たちへの問いかけにもなった。 「震災からどう変われているだろう」 「これまでと同じ生き方でいいのか?」

この本には、東日本大震災と向き合い 3月11日を「はじまり」に変えた30人の夢を掲載しています。 読んでくださった方にとって、 あらためて、震災と向き合うきっかけに。 自分の生き方を見つめ直すきっかけに。 夢を書いていただいたみなさんからの問いかけが、あなたの未来を描く希望の宿題となりますように。 そして、この5年間 踏ん張り続けてきた人へ、エールを込めて。

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