3.11からの夢 From 2011.3.11-2016.3.11

福島での子育てを悩み続けた母の夢「福島をもう一度みんなでつくりたい」

「もう、傷つけ合わなくていい」 外に出る?出ない?食べる?食べない?3月11日以降、当たり前にしていた生活の、ほんの小さなことでさえ選択を迫られるようになった。ガイガーカウンターのアラーム音はいつも私を苛立たせた。目に見えない放射能の中、どうやって子どもたちを守ろう。どうすれば福島に住んでいられるのだろう。…いくら考えても、答えは出なかった。  意見の違いで、身近な人たちとぶつかり合った。祖母が軒先でつくる野菜が食べられなくなった。線量計を持ち歩いて測定していると、「まだ気にしてるの?」と言われた。ただ子どもたちを危険から守りたいだけなのに、「放射脳」と言われたこともある。みんな、不安と苦悩でいっぱいの日々を精一杯生きていたのに、助け合うどころか傷つけ合った。  そんな時、夏休みに子どもたちを受け入れてくれる団体と出会った。「福島から少しでも離れてほしい」と送り出したが、帰ってきた子どもたちの表情はハツラツとしていて驚いた。話を聞くと、草花に触れ、カッパを着て雨にうたれるといった、もうここではできなくなってしまった子どもらしい経験をしていた。たくさんの大人に囲まれ、やさしさ、思いやり、感謝、そして「できた!」という達成感を学んできていた。  その時、私はこの福島でも子育てができる。そう思った。子どもたちには、不便な子ども時代と引き換えに、心豊かに成長するチャンスを与えられたのではないか。この経験は、これからを生きる力になる。マイナスばかりの福島にプラスの希望が見えた。それは私にとっても同じだった。少しずつ心にゆとりも生まれ、最近では子どもの外食もOKにした。「おいしい!」と言って子どもたちが食べているのを見ると、気持ちが楽になった。来年の夏には、思いきって5才の末っ子を庭で遊ばせてみようか。洗濯物も外で干してみようかな?まだそんなところで止まっているけれど、あの日から考えると、ずいぶん心が軽くなっている。  私の夢は、子どもを中心に笑顔の輪が広がっていくこと。不安も喜びも共有しながら、この福島で起きた日々を忘れないように、二度と繰り返さないように。傷つけ合うのではなく、それぞれの意見を尊重しながら、みんなで3.11後の福島を、これからの未来をつくり続けたい。もしも叶うのなら、放射能のない福島が欲しい。でも、もうそれは無理だから、この福島に残るって決めたことを、後悔しない福島にしていきたいと思う。 浜津万希子  36歳

郡山市の開成山公園:役1,300本の桜が咲く福島県屈指の桜の名所(2015/4/16 撮影)
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