3.11からの夢 From 2011.3.11-2016.3.11

災害派遣で東北に行った自衛隊員の夢 「強く、やさしい自衛官に」

「決して、歯を見せてはいけないと 思っていたのに」 私は16歳の時に阪神大震災で被災しました。その時私は大工をしていましたが、現場は地震でなくなり、代わりにがれきの撤去や建物を解体する仕事が多くなりました。そんな時、無言で泣きながら、がれきの撤去をしていた自衛官の姿を見て感銘を受け、自衛官に憧れました。それから10年後、応募資格ギリギリの26歳で自衛隊に入隊しました。  東日本大震災の当時、私は自衛隊の自動車教習所で臨時勤務をしており、夕方のニュースで地震の発生を知りました。当時は1日も早く被災地に行って派遣活動をしたい気持ちでしたが、5月までの臨時勤務の責務を果たすため、派遣も叶わず、派遣隊員を応援する気持ちと口惜しい気持ちが入り混じった複雑な心境でいました。  臨時勤務が終了し、部隊復帰後すぐに派遣が決まり、「被災された方のためになんでもやるぞ」という気持ちで被災地に入りましたが、実際に被災した状況を目の当たりにした時は、あまりの凄まじい光景に言葉が出ませんでした。  派遣期間は、5月9日から25日までの17日間でした。生活支援隊に配属され、7名で宮城県亘理(わたり)町の中央児童センターで入浴支援を行いました。入浴支援は自衛隊に入隊してから初めての仕事で、戸惑うこともありましたが、入浴された方から「ありがとう」と声をかけていただいたり、感謝されることが多く、とても嬉しくやりがいを感じました。  これまで、私は「災害派遣中は歯を見せてはいけない」という考えで派遣活動をしていました。しかし、今回の入浴支援では、被災された方々の明るい笑顔や大きな笑い声に派遣隊員の方が癒され、いつのまにか毎日笑顔あふれる楽しいお風呂屋さんになっていました。  被災された方から「自衛隊は温かいごはんを食べていないだろうから」と、おにぎりや魚の煮付けなど温かい料理をつくって持ってきていただいたこともあります。当時は、レーションという戦闘糧食を食べていたので、そういった手料理は体にも心にもしみ入りました。また、小さい子どもからお礼の手紙を渡された時にはおもわず涙ぐんでしまいました。このような日々に、災害派遣に来ている隊員の方が温かい気持ちにさせられることばかりでした。  私の「3.11からはじまった夢」は、日々感謝を忘れない人になることです。私は被災地で、自分が一番大変な状況なのに、人を気遣うやさしさ、助け合いの精神、感謝の心を忘れない多くの人に出会いました。  水が出るのも当たり前、電気がつくのも当たり前、ごはんをつくってくれる家族がいるのも当たり前、家があるのも当たり前……。それまでの私は日々感謝することを忘れていたような気がします。すべての物事が当たり前で、気にも留めていませんでした。感謝の気持ちを持つことによって、人は人にやさしく、物にやさしく、すべてにやさしくできるのだと思います。   自衛隊には、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」という宣誓があります。被災地での派遣活動は、この言葉を今一度心に据え、自衛官という仕事に誇りを持つ大きなきっかけになりました。  これからも、自分がつらくても笑顔で人を助けられるような、強くやさしい人間になれるよう、日々感謝を忘れず、1日1日を大切にしっかり生きていきたいと思います。 篠原伯佳  38歳

陸上自衛隊伊丹駐屯地:迷彩柄の服に身を包んだ隊員が各々訓練に励んでいた。(2015/10/14撮影)
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