出版事業部のかわきちです(3)


こんにち こんばんわです。

出版事業部 かわきち です。

これで3回目のブログになります。

(写真は24歳の誕生日のときの様子です、

左がほんださん 前がきむさん 右がいくみちゃん)

 

 

今回も、

なんとなく よく考えること。

ひとりごと みたいなブログを書きます。

 

「歳をとること」

 

歳をとる

って素晴らしいことだなと

現25歳の河北は思っている。

 

なんでかって

自分のいろんなものが

洗練されていく感じがするから。

 

例えばそれってどんなことかっていうと、

 

・単純に、人と出会うという経験を重ねていくから、

人から何かを得ることも増えていく(概念でもカルチャーでも何でも)

 

・誰かと恋をして別れて、誰かと恋をして別れて、

「恋愛」ってどんなものかが 少しずつわかったりする

 

・自分に似合う服装や髪型がどんなのかがわかってって、

内と外が一緒に、美しく格好良くなっていくような気がする

 

・人に何かを伝えるときの

選ぶ言葉とかその先にある想像が

より考えられたものに、より思われたものになっていく

 

・これからどうやって生きていこうかなって悩むたびに泣くたびに

自分がどうあれば「生きてる」と感じるのかを考えて 知っていく

 

まだまだあると思うけど

とりあえず今パッと思いつくのはこれぐらい。

 

みんなはどうか知らんけど、

上に書いたことはぜんぶ

親からも先生からもはっきり教わることはなかった。

 

自分が生きていくなかで、

生きれば生きるほど

何かが洗練されていくことを知る。実感する。

 

反対に、まだまだ自分が未熟であることも知る。

ひよひよひよっこのひよこちゃんであることを知る。

 

いろんなものが洗練されていくことに喜びを感じて

人間としての伸びしろは無限にあることに安心する。

(いくらでも洗練はされていくけれど 死んでも完全になることはない)。

 

人は歳をとればとるほど

幸せになれるのかな?なんて

 

たかが25年しか生きてない奴が

何をぬかしてんねんと言われるかもしれないけど

 

少なくともこの25年間 総体的に見て

自分の「生きてる」度数はパーフェクトな右肩上がりの 鰻のぼり。

 

学生時代のときの自分なんて、

ほとんど上っ面で生きてたからな。

(若かったからというのもあるけど)。

 

友達に言った言葉も、自分の身なりも

自分の居方(いかた)も、何かを選択するときも、すべて

生き方そのものが

めちゃくちゃしょーもない奴だっただろうなと思う。

すげーテキトーだったと思う。

全部なんとなくだったように思う。

 

わりとわたしは親に、

何事も「自分で決めるな」と言われて育ったので、

「自分で決めたら怒られる」ってビクビクしてたし

そのまま

親が決める、決めてくれると、甘えたまま

成人してしまったのかもしれない。

(うちの親は、わたしの幸せと安定を願うあまりとても慎重なのである)。

 

けどなんとなく

自分の頭と心にあるものを

目に見えるものに変換して

人に見てもらいたいっていう気持ちだけあったから

 

いろは出版に入社して

一人暮らしもはじめて、

 

いろは出版は

田舎のなかにあるちっちゃい会社のくせに

素晴らしい人たちがいっぱいいるので

いろんな概念を教えてもらったし

 

学生時代よりもうんと「孤独」を感じることも増えて

ひとりになれば なるほど 自分がどういう奴なのかが見えて、

どんどん自分が本物になっていってるように感じる現在。

 

なんて幸せな道筋を辿らせていただているのだろう、

わたしは わたしで生まれてきて結構良かったよなと

年々思う。

 

「歳をとる」ってどういうことか

ひとによってちがうだろうけど

どうやらわたしには素晴らしいことのようなのです。

 

さて あと2ヶ月ちょいで26歳になります。

26年目の 河北の人生は

どないなもんでしょうかね。

 

楽しみだったり、コワかったりだな。

恋愛もやってくで。

 

 

おわり